常識と言う枠

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誰しも常識と言う枠を持っている、または持っていたことがあるのではないでしょうか

「3つ子の魂百まで」と言いますが、子供時代に親兄弟、地域、学校などで学んで来たことは、自分の中で常識としてルール化されていると思います。

その常識は、決して普遍的なものではなく、家庭や地域や国や時代により様々であります。

しかし、それらが異なる常識と遭遇しない限りにおいては、標準であり唯一のルールと思い込んでいるものもおおいのではないでしょうか?



常識は雲の様に変幻自在であり、全く同じ基準は存在しないと思います。

それらの違いが表面化した時、私達は自分の正しさを信じ、相手を否定することがあった人も多いと思います。

もちろん私自身がそうでした。(笑)



今はそれが少なくなったとは思いますが、まだ無くなったと感じておらず

ウニのトゲが丸まり、金平糖くらいにはなったでしょうか!?

常識の枠を外すには、その思考が常識と言う枠であることを認識しないと難しい出ことでしょう。

全ては気付きであり、その認識、枠の手放しの連続です。



そこには、慣れ親しんだ思考と行動があり、ものによっては切り替えも容易ではないかも知れません。

自分が正しいと感じる思い込みは、結構強烈であり、自分も相手も傷付ける力があります。

私自身今の今まで、数々の傷を自他共に与えてきております。

傷付いた自分自身、傷付け傷だらけになったみなさま、ごめんなさい。m(_ _)m

本質としては魂には傷つかないのですけど、魂を被う膜は傷だらけになります。

傷付いたと思う自我は真珠のように魂にコーティングするように新しい膜を張るでしょう。

その膜が新な枠であり、それを剥がしていく作業を続けている訳です。

これまた自作自演であります。



それらを学びと受け入れながら、振り返りつつ軌道修正して素の状態に戻ろうと試行錯誤しております。

枠と同時に、思考の癖もあって、常にバランスの取れた中心軸にいるとも限らず

色眼鏡やフィルターが掛かった視点や馴染みのポジションにいることもまだある様です。

常に自分自身を客観的に見られる位置から、俯瞰しておきたいものです。



いつまで続くリミッター外し、どれだけ枠があるのか、リーディングしてもらっても外側から見てもらうか、透過して中を見てもらう感じで、最後の幕開けは、いつになることでしょう。



進化の旅は、この物質次元を越えても続くので、当面終わりもわからず、歩き続けていくようです。

この世界をてくてくと歩み、次ぎの一歩に繋げて行くことが、進化の旅の近道なのかも知れませんね。

終わりがある様で、中々ゴールが見えない道中ですが、今を歩き続けて生きましょう。



シフトもしているとは感じつつも、自分でモニターしきれず外部モニターに頼る日々

自分でわかる時を待ちかねているような、自分で避けているような

どちらにしても、もどかしさを感じている自分がいて、徐々にその想い自体を手放して、その時を迎えるような気がします。



自分の気持ちに素直になり、そして謙虚に、心から喜びハートから溢れ出る光(愛)の粒々ちゃん達を宇宙へ上げて、また次のギフトを宇宙から頂く、そんな循環の輪を軌道に乗せて生きたいですね。
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