人それぞれがGPS衛星の様なもの

昨日かずっちさんとチャットのやり取りの中で感じた

「人それぞれがGPS衛星の様なもの」

他人は鏡という表現は何度も聞いていて、自分を映し出すものでそうだなと思っていますが、GPSでの例えもいいなと思いました。



多くの人は、自分という個を体験しながら、生きている訳ですが、その自分という人は、どんな人なのか1番身近であり、興味があるのだけれども、他人を見るように直接は見られず、鏡撮しで反転して見ております。

それと同時に他人を見ながら自分の位置(立ち位置、ポジション、進捗など)を確認しておりませんか?

他人をGPS衛星の様に利用して自分の位置を確認していると感じました。

自分ひとりでは生きられないのは、物質的にも、精神的にも名のだと思います。

山に籠もって仙人のように生きていても、GPS信号の受送信スイッチを切り、自立航行しているようなもの、単独ではいいのでしょうけど、他人の役には立っていない。



私達は、無意識のうちに他人の発信するGPS信号を受信して利用しているでしょう

それと同時に自分もGPS信号を発信しておりますが、人の話を見聞き(受信)してばかりで、自分の発言・表現(発信)などをしないひとは、リードオンリー状態のステルス衛星みたいです。

また他人の発信をコピペしているだけでは、ミラー衛星みたいなもので、位置情報としてはずれているのかも知れませんね。



表現が上手い下手ではなく、表現が好きとか嫌いがわかれば、好きなものを真似てみたりしているウチに、自分色が内側から沸き上がってくることでしょう。好きなことをしている人は光っていて、その光は周りの人を照らし、その人も気付けば自ら光り輝いていることでしょう。

その様な光の連鎖反応が拡がることを期待しているし、その様にイメージして、その様な世界を創造する。



2015年の秋分点を過ぎたとは言え、表面的にはこの世界は変わっていない。

今この記事を書いている時の天気のように、風雨で荒れたような感じがします。

只それらも必要な事が起こっているだけで、罰でもなんでもない。



同様に自分の身に起こっていることも必要なことが、起こっているに過ぎず

その体験を通して何を感じるのか

それこそが重要なのではないかと感じます。



自分に枠を填めているのは、社会環境や会社や家庭という見方もできるでしょう

それでもその枠を受け入れているのは自分であり、中には受け入れていないそれらの枠もあると思います。

何でも素直に枠を受け入れているものでもなく、そこは何らかの意図を持って判断しているでしょう。



誰かを喜ばす、誰かを悲しませない

それも大切ですね



自分を喜ばす、自分を悲しませない

私自身は少しずつこちらを優先して来ているように感じます。

私の代わりに、私を喜ばせ、悲しませない人はいないことに気付きましたのでね。

個としての私の世界を体感しているのは私だけ、もちろん創造しているのも私



自己犠牲から他人を喜ばせ、悲しませないより

自己を喜ばせ、悲しませない

その上で、他人も喜び、悲しまないのがベストとかな

ただ、他人の感情をコントロール出来る訳でも無いので

自己犠牲をしたから、自分が喜ぶから、どちらを選択しても、他人の感情はその人自身が決めていますよね

侍や特攻など、忠臣が自己の選択か選択出来なかったのかは測りきれるものではありませんが

自己犠牲から他人を喜ばせることができたのかどうか知る由もありません。

戦国時代、戦時中と時代と共に、人々の感じ方も変化してきていると思います。

時代と共に常識が、意識が変わってきている

今の時代もその常識・意識が変わろうとしているのではないかと感じています。




外側の意見を参考にして判断することと、外側の意見を鵜呑みにするのは似て非なるもの

それが親兄弟、他人、ましてや神や宇宙存在であったとしても

何故なら今ここに生きているのは、個としての自分であり、この体を誰かに明け渡して代理で何かをする訳ではありません。



現代において、言葉や文字はコミュニケーションのツールです。

それをどの様に使うかは、その人のスキル

人の話を伝える側の気持ちを100%受け取っている人は、まずいないでしょう。

文字からも、絵からも、音楽からも、踊りからも、表現者の思いや感情を100%コピーするかの如く、受け取ることは今時点では不可能ではないかと感じますし、個として別の意識を持つ存在であるのだから、個性として異なることが当たり前であり、それこそがとても有り難いことなのではないでしょうか。




だからこそワンネスから個として分離してきたのでしょうね。

みんな同じじゃ変化の無いツマラナイ世界になっちゃう、というか戻っちゃう



これからは、この世はその違いを個性として、認め合い、受け入れる、受け流すか放っておく

そんな感じになって行くのではないでしょうか

そこに対立は生まれない




何でもかんでも自分の意見や価値観を押しつけて、征服していくような植民地時代は終焉を迎えるでしょう。




今の欧州の移民騒動は、植民地支配に対するアンチテーゼの様なものではないでしょうか。

大航海時代に、欧州各国は世界を駆け巡り、未開の地(欧州目線)を支配し陣取り合戦をしておりました。

それによりそれぞれあった文化や文明を破壊し略奪した。

それらの地を統治していた時代には、人々は奴隷となり搾取された。

大東亜戦争後に世界の物理的な植民地は、時と共に開放されてきましたが、そこにあった文化や文明が回復することはなく、植民地時代の流れを踏襲してきました。それは自然と共にある循環の生活ではないので、どんどん破綻し破壊が進む。

破壊され行くところがなくなった人々は、人類大移動の如く、欧州を目指している

植民地時代の古いエネルギーが、時代を越えて、形を変えて、富を取り戻しにブーメランのように戻ってきているように、私には感じます。



この結末がどの様に結ばれるのか、今の私にはわかりませんが

解決出来ない問題は起こらないと私は信じています。

関連する人々に愛を送ります。( ^o^)ノ♡




今日も最後は、これ書こうとしていたか!? という展開でしたが

そんな私自身の無意識を意識化したいですね。(^^;)

自我(マインド)が魂と融合する時、そうなるのかな?

その様な仕組みなのかもわからないけど、そんな気がします。
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