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概念を手放す

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週末埼玉にお出かけしておりました。鉄道博物館前を通りがかり写真撮ってきました。(笑)

参加したイベントで感じたのは、体感を優先すること、思考による概念に囚われず、リアルに体で感じる事が大切である。

確かにこの地球に肉体を持って生きている以上、想念だけでは生活出来やしない。思考や想念が全く無しに肉体だけでは集合意識では生活できても、個としては生活できないとも思う。個人の思考や想念が集合意識となっているのだろうけど、目覚めていない(洗脳)状態では自由な選択はなくて、ある意図を持った集団の一部となってしまうのだろう。

どんな集団や組織であっても、そこには独自のルール=常識が存在し暗黙のウチに受け入れ実践している。

それこそが集合意識でしょう。

地球、アジア、日本、神奈川、平塚など地域で捉えたり、会社や宗教の組織で捉えたり、趣味のサークルや倶楽部等であってもそこにはルールがあるでしょう。ルールを誰が決めているか、集合意識を誰がコントロールしているのか。自分はそのルールの全部を受け入れているのか、一部を受け入れているのか、何を受け入れ、何を受け入れていないのか、それを受け入れているのは本当の自分の意思なのだろうか。

〜してはいけない。 〜しなくてはいけない。 そんなルールを受け入れていないだろうか。

そのルールは本当に必要なのだろうか?


よく瞑想して、無の境地になるなどとの話がありますが、それは自我、マインドを止めると言うことでしょう。道中の工夫という手法がありますが、瞑想が苦手な私にはさらに難しいのですけど、いかに自分が思考しているのかを気付くにはいい体験だと思います。道中の工夫では散歩しながら、人とも自分とも話さず、ただ黙々と歩くのですが、看板を見ても字として読まず、認識しないこと。それ自体が思考であり自我の自動操縦で真我が考えて読み取っているのではないんですね。

知識として認識している文字を読むという行為が自動的になされており、知らない外国の文字があった時には、文字と認識しても読もうとはしていない。知っていると認識して読もうとする。

自我、思考を使っての生活は、ある意味で今までの生活の上では欠かせない社会的な常識(それを受け入れているのは自分ですが)であり、それに従うことこそが生活をスムーズにしています。

私が思うこれからの社会は、いかに今まで自分が受け入れてきた常識を認識して、本当に必要なものに書き換えていくかだと思います。それがアセンションなのではないかと。

地動説が天動説になった時のように、全体の集合意識が変わっていくのだろうと思います。今までは宗教や科学が時代をリードする役目を負っていたと感じますが、これからはひとりひとりが自立し、その上で集団意識を形成していく時代になってきているのではないかと感じます。

どんな組織に属していようが、自分の意識が生きているのかが問われる時代、言いなりの洗脳意識では個であり全体である時代には対応が出来なくなってくるのではないかと思います。

その意味でも、自分の概念、思考、常識、自我に気付いて目覚め=覚醒して、本当の自分の生活を営む、体験、体感、リアルな感覚を身につけていくことが、覚醒し新しい時代に向かう魂(意識)の乗り物としての人間の行動に繋がるかなと感じました。

感じるままに書いたので、わかりにくかったり、まとまりがないかも知れませんが、何か伝わるものがあったら良いなと思います。

ありがとうございます。
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